ぽつぽつと集まり始めたストバス組と入れ替わりでフェンスを抜ける。遠い視界の隅で、青峰が足元のスポーツバッグを拾って肩にかけた。その目がどこを見ているか気になったが、火神が立ち止まれば黒子にも振り向く口実を与えてしまう。
歩調を早めてコート脇の路地に入った火神は、連れの顔を何気なく見下ろし、どきりとした。
「おい、大丈夫か」
一拍遅れて黒子が反応する。虚ろな仕草で顔を上げ、ふるっとまぶたを揺らした。青白い街路灯の下、瞳のふちが水面のようにきらめいて、もっと明るければ上気したほおの赤い色も見えたはずだ。
濃く立ち上るバニラとシトラス、甘いミルクの香り。
まじろぎもせず見つめる火神に気づいて、黒子は声をうわずらせた。
「すみません……あの、ちょっと……久しぶりだったので」
「久しぶり?」
目的語のない単語をおうむ返しにする。すると黒子は何か言いかけて──口をつぐんだ。久しぶりに嗅いだ青峰の匂いで発情しそう、とはさすがに言えないらしい。
だがそれが言えないのは、火神をただの安全牌とは見ていない証拠でもある。
黒子をじっと見据えたまま、火神は言葉を選んだ。
「ていうかそんなんで帰って平気かよ。厳しいんだろ、お前んちの親」
「……どういう意味ですか」
「どういう意味ってお前、すげー反応してんじゃん。苦しそうだし。ほっといたらアレ、来ちまうんじゃねーの」
息を飲んだ黒子のうなじには後れ毛が貼りついて、汗ばむほどの動揺が見て取れた。指先まで痺れるような胸の高鳴りを、黒子も感じているのだろうか。
「オレでよけりゃ、そうなる前になんとかしてやれっけど……どうする」
以前聞いた、発情期が来れば当分外出禁止、という家の縛りをほのめかし、火神は選択を委ねた。
追い詰められた黒子が目を泳がせる。視線が定まる前に手を差し出して、促すと、他に頼るものをなくした手がおずおずと上に乗った。すかさず握り締めて歩きだす。
「え、ど、どこに」
「オレんち」
黒子の指がびくっと跳ねた。だが立ち止まる様子はなく、もう逃がさないと告げる必要もなさそうだった。
黙りこくったままの黒子を先に玄関へ通す。部屋の明かりが灯るなり、靴を脱ぐ間も与えずに抱きすくめた。仔犬じみてぐったりと熱い体の、湿った首すじに顔をうずめ、絞り出すように尋ねる。
「どこまでしていい」
「……ッあ、噛まない、で」
わかったと応える代わりに、火神は眼下の白いうなじを手のひらで覆った。指の隙間の肌を舐め、けぶる生え際から耳たぶまでを舌でたどる。汗の薄い塩気と、唇をくすぐる後れ毛、甘いバニラの香り。脳がぐずぐずに融けてしまいそうだった。
それに心臓が痛い。掻きむしりたくなる胸の疼きに苛まれているのが自分だけとは思えなくて、抱きしめた腰元のシャツをたくし上げる。ひっ、と嗚咽を漏らしてへこんだ腹を撫で上げ、胸の真ん中に手を当てた。
どく、どく、と早鐘を打つ鼓動を感じたとたん、疼きはもっとひどくなった。
「汗すげーな。暑い?」
「ン……ッ……っ」
鳥肌の浮いた胸を撫でさすり、ぷつんと尖った乳首を探り当てる。めくれたシャツからのぞく脇腹がびくびくと跳ねるのを眺めながら、執拗に弄んだ。
黒子は息を殺して刺激に耐えている。始めはそれでも良かったが、興奮が増すにつれて物足りなくなってきた。
もっと自分から求めて欲しい。感じてる声が聞きたい。
震えて背すじを反らした黒子のシャツに腕を深く差し入れ、鎖骨のくぼみからのど、尖ったあご先のラインに中指を這わせる。襟元から出した手で唇をなぞり、丸いほおを包んだ。
巻き込んだ唇を噛み締めて、黒子は頑なに喘ぐまいとしている。それが歯がゆい火神は上体を倒して重ね、甘い香りの耳元に囁いた。
「黒子の声、好きだぜ。だから……」
ここを開けてくれ、と唇の合わせに親指を立てる。まつ毛を伏せた黒子は観念したように奥歯を緩め、侵入を許した。
「はぁ……あ、ふ、うぁ」
ぬるりと暖かい粘膜に指を二本入れて曲げる。舌を挟んで引き出し、待ち伏せていた唇で捕まえた。ちゅる、と音を立てて吸い取った黒子の舌は剥いたアロエみたいに滑らかで水々しい。だったら根っこから抜いて食っちまいたい、と腹に突き上げた荒い衝動が伝わったか、黒子が体を固くした。
「ッ……悪い」
散々絡め取った挙句の謝罪は誠意に欠けて、黒子の潤んだ上目遣いに後ろめたさが募る。
こんな風にするつもりじゃなかった。
こんな、飢えた獣みたくがっつくんじゃなく──お前が誰より大切で、好きだって気持ちをありのままに伝える、そんなキスがしたかったのに。
「嫌なことしたら止めてくれ。加減がわかんねえ」
「そうじゃない」
食い気味で否定した黒子が、気まずそうに目を逸らす。
「ちょっとだけびっくりして……こういうのは、初めてで」
火神はつかの間黙り込み、その迂闊な告白を聞き流した。黒子にとって何が初めてで何がそうじゃないのか、今は想像したくない。
「……くろこ」
吐息で名を呼びながら口の端をついばむ。二度目のキスをおとなしく受け入れる唇へ、今度はじわりと分け入った。
(つづく)