the midnight gas station carols

テツの元カレが地雷な青峰君のクリスマスイブ小咄

また、つまらない一言で怒らせてしまった。

フロントガラスをじっと見据えたまま一言も発さなくなった、彼の横顔を盗み見る。
国道を流れるネオンサインが運転席をシルエットにして、日に焼けた顔の表情をますます見えなくした。
いっそあやまってしまおうか。でも。
迷っている間に車はウインカーを瞬かせ、道路脇のちいさなガソリンスタンドに滑り込んだ。
「いらっしゃいませえッ」
油染みが目立つツナギの店員が、姿勢を低くしてパワーウィンドウのなかを覗いてくる。青峰君は四駆の重いエンジン音を威嚇するように響かせながら「ヘッドライト、壊れてんだけど」と言って、ちらりとボクを見た。
──元カレは、このくらいてめぇで直せたんだろ?
そう言いたいみたいだ。

ボクは黙ってくちびるを噛んだ。
いたたまれなくなって助手席を降りると、つめたい真冬の風が、荒いニットの編み目から暖房でゆるんだ肌をつき刺してくる。
逃がした視線の先では、ガソリンスタンドの店員がふたり、なにごとかささやき合っていた。
くすんだ金髪の、根元が黒く伸びているほうが一瞬こっちを振り向いた。なんだか嫌そうな顔をしていた。
またか、とボクはうつむく。
青峰君は自分で思ってる以上に、感情を隠すのが下手だ。
たまに他愛もない嘘をたくらんでも、ふいっと目をそらすクセがあってすぐにバレる。そんな青峰君をかわいいひとだと思うけれど、そのぶん、機嫌を損ねたときはやっかいだった。

青峰君は、他人に嫌われるのを怖がらない。
怒った青峰君が、あたりかまわず不機嫌を撒き散らすたびに、ボクは、違う、誤解しないで、彼は悪いひとじゃないんですって言い訳したくなって、でもそんな保護者気取りなことをしたら、青峰君はたぶん、もっと怒る。

だんだん冷えてきた肩をぎゅっと縮めて立っていると、さっきの金髪じゃない、ツナギ姿の店員が工具箱を鳴らして駆け寄ってきた。後ろでバタンと車のドアを閉める音がする。
青峰君は買っておいた部品とスマートキーを店員に渡すと、そのままこっちに近寄ってはこなかった。なにかに気を取られたような遠い目をして、ヘッドライトの取り外しにかかった店員の背中をながめている。

その横顔を見たボクのみぞおちに、くすぶる熱のかたまりが生まれた。
最初は切れかけのランプのようだったそれは、じわじわと、鳥肌が立つほどに燃えあがり、にぎりしめた手のひらにはやがて、ぐっしょりとたくさんの汗がにじみだした。
夜の闇に濡れて輝く車のボディーを、へこますくらい蹴ってやりたい。
ゆっくりと、つま先にちからをこめて、店員の背後に歩み寄る。
けど結局はバンパーを蹴ったりはせず、中腰になって、ふるえるひざに手をついた。
そこはちょうど、店員の背中を見る青峰君の、視線をさえぎる場所だった。

店員のゆびは汚れていた。黒い機械油が詰まった爪は、使いこまれたエンジンのシャフトに似ている。
てきぱきと、まるで実直な機械のように動く手を、ボクは奥歯を食いしばり、前のめりながら見つめた。
ひらめくゆびの残像が、ほそめたまぶたの裏で、白い光の点になってはじける。
青峰君はいま、どこを見ているだろう。

壊れたライトをようやく外し終えた店員が、工具箱のふたに乗せてあった新しいバルブを後ろ手で探りかけ、あわてて腕をひっこめた。
腰をねじって振り向くと、ツナギのふとももで何度もゆびをぬぐってから、照明部分をぼろきれでつつみ、右手に持ち替える。

ヘッドライトに使うランプは、点灯すると、とても熱くなる。
だから、手の油分がつくと割れやすくなってしまう。
いつだったか、そんなことを聞いた。カー用品店の駐車場で思い出して、青峰君に話した。
笑っていた青峰君の顔は、みるみるこわばった。

青峰君はボクの遠慮とか、飲み込んでしまった言葉には気づかないくせに、かすかな過去のにおいには、過敏に反応する。

ひときわ冷たい風が、凍えるコンクリートの地面を走りぬけた。
なぜか切なく、胸に詰まるガソリンの香り。そっと白いため息をつく。
店員が振り返った。思わぬ近さにぎょっとされて、ボクはつい頭を下げた。意味もなく笑いかける。すると店員の耳のあたりが赤くなり、怒った顔で目を逸らされた。
むっとした。なにもにらみつけなくたっていいじゃないか。
えらそうな態度で命令したのはボクじゃなくて、青峰君なのに。
踏んだり蹴ったりな気分で、黙々と作業をつづける店員の首もとから目を逸らす。

「テツ!」
急に大声で呼ばれた。
煌々と明るい待合室の入り口の横、自動販売機の前。いつの間にかそこにいた青峰君が、ポケットに手をつっ込んであごをしゃくった。来いよ、って意味だ。
ボクはなにげないそぶりで、けど内心ではコチコチに緊張して青峰君に近づいた。
「なんか飲めよ。あったかいの」
くっきりと眉間に刻まれた縦じわは、冷たい北風と、不機嫌の、どちらのせいだろう。でも声のトゲはすこし丸くなって、青峰君なりの反省が透けて見える。
ボクはやんわりとじゃれてみた。
「プレゼントには早くないですか? まだイブなのに」
スニーカーのかかとを浮かせ、うわ目づかいに顔を覗き込む。
青峰君はまじまじとボクを見下ろして、ニヤリと相好をくずした。カフェオレの缶をふたつ、片手でつかんでボクのほっぺたに押しつける。
自販機が吐き出したばかりのスチール缶は、冷え切った肌には痛いくらいの熱さで。
ボクは息を飲んで飛びのいた。青峰君は肩を揺らして笑い、こう言った。
「メリークリスマス。まだイブだけど」
また吹き抜けた風に足踏みをしながら、ついでのように付け加える。
「今年もよろしくな、テツ」
「それ、新年のあいさつです」
どうやら、ご機嫌は直ったみたいだ。
気がゆるんで回りの良くなった舌で言いかえしてみると、青峰君は「来年のクリスマスまでって意味だろ」とくちを曲げた。

穏やかな沈黙が降りると、暖かそうなガラス扉のむこうから、有線放送のクリスマスソングが聴こえてきた。
ここ一ヶ月、もしかしたらそれ以上、行く先々で耳にする浮かれた聖誕祭のうたは、今夜がピークとばかりに賑やかな鈴の音を響かせている。
Laughing all the way──悲しいことや苦しいことは全部忘れて、今日という日を大切な人と笑って過ごしなさいって、言ってるみたいな。
もしかしたら青峰君もジングルベルを聴いて気を取り直したのかも、なんて考えると、ちょっと可笑しい。

プルトップを立てる。くちびるを当てて、キスしたい気分をまぎらわせる。ほろ苦くて甘いカフェオレが、じんじんのどをすべり落ちていく。
飲み口から立ちのぼる淡い湯気のむこうから、ふと、視線を感じた。
「点灯の確認、いいすか」
運転席に半分からだを乗り入れた店員が、言うと同時にエンジンのボタンを押した。
モーターが咳きこむ。二回、三回。
「バッテリーですか?」
「ちげーだろ。ほら」
せき止めた水があふれ出すように、マフラーが吼えた。真新しいヘッドライトの光が、アイドリング音とともに国道の夜を裂く。
青峰君はお尻のポケットから財布を抜いてたずねた。
「どーも。いくら?」
「バルブ交換は部品代だけなんで」
持ち込みは無料っす。目も合わせずに断るなり、店員はそそくさと工具類を片づけて、待合室の横の駐輪スペースに引っこんだ。
「んだよ。カンジ悪ぃな」
ちょうど交代の時間だったのか、店員はもう原付バイクにまたがっている。そんなに遠くにいるわけでもないのに、遠慮しない音量で悪態をつく青峰君に眉をひそめた。
「無料でやっていただいて、その言い方はないでしょう」
おもわずたしなめてから(また余計なことを言ったかな)と顔色をうかがうけれど、青峰君は気にも止めていない様子だ。カフェオレの缶を耳にあてて、のどかに暖を取っている。
ひとまず安堵したボクは、青峰君の四駆とくらべるとずいぶん軽い原付のエンジン音をもう一度振り返った。
あのひと、薄着だな。
こんな寒い日に、ぺらぺらのジャンパーとツナギだけでバイクだなんて。よく見れば、半ヘルメットのひもを締めるゆびは古ぼけた軍手だ。
「あたたかいコーヒーでもあげればよかった」
なんとなく、そうつぶやいていた。青峰君が顔をしかめた。
「やけにかばうじゃん」
つきとばすような言いかただ。地雷の気配。今度はなんだ、と身構えながら、表情を動かさないよう意識する。
「さっきもずっとアイツ見てたよな、テツ。車いじってるヤツ見んの、そんな好き?」
「違います。ただ動くものを見ながら、考えごとをしてただけです」
踏み抜いて起爆しないように、慎重に言葉を探した。
「さっきは、その、キミのこと考えてました。はやく仲直りして、楽しいことしたいなって。キミと過ごすクリスマスは、ボクにとって特別な日ですから」
正直が一番だと思って、ボクが心の底で本当に望んでたことを伝える。
そしてつい数分間に押さえつけた衝動も。

キスしたいって気持ちを込めて、見つめて、あごをあげた。
青峰君はマジかよってちょっと焦った顔をして──けど邪険にはせず、ガソリンスタンドの高い天井のライトを遮って、細く伏せられた目が降りてきて。

ほんの数秒重なったくちびるが離れたとたん、冬の空気がうすく開いた粘膜を冷やす。
足りない、と思ったのはボクだけじゃなかったみたいだ。青峰君はまだ間近にある眉間にしわを寄せて言った。
「楽しいことって、なに」
そこまで考えてなかった、とは言えない。とっさに思い浮かんだことを口走る。
「えっと、シュート練習とか?」
「お前……いつの話してんだよ」
もっと他にあんだろーが、とあきれた声のわりに、まんざらでもなさそうに肩をすくめる。カフェオレを飲み終えたボクの空き缶を奪って、ゴミ箱に投げた。

原付の彼はとっくにいなくなっていた。洗車機の横のスペースでひとり騒がしくアイドリング音をたてている四駆に向かって、ボクは青峰君のダウンジャケットのそでを引いた。
「じゃあ、青峰君はなにかプランがあるんですか」
まだ暖房が残っている車内で、ほっと息をつきつつたずねる。
なにはともあれ、はじまったばかりのクリスマスイブをどう過ごすかが重要だ。
青峰君はとたんに素敵な隠しごとをする恋人の顔になって、まあ黙ってついてこいよ、とくちびるの端っこを引き上げた。